すーっかり忘れていたのですが、
2月12日に、「GAKUの爆走日記!」はついに5年目に突入していました。
いつの間に・・・。
始めたのは中学校2年生の冬。
いつも見てくださってるあなたも、
毎回内容がくだらなさ過ぎてあきれてるあなたも、
最近見始めたあなたも、
今初めて見たあなたも、
5年目のGAKUの爆走日記!をどうぞよろしくお願いします。
・・・と、思ったら、
僕は高校を卒業しました。
中高一貫校なんで学校には6年間通いましたが、いろいろありました。
僕の記憶が正しければ、
中1の4月にぶかぶかの制服とともに入学し、
その1か月後に当時の校長と朝っぱらから口げんかをし、
2月の生徒総会で中1のくせに発言したおかげで学校中の人から目をつけられ一気に有名人に。
中2の学園祭で、クラス展示の内容に納得がいかず責任者と口論し、
そいつらを見返そうとやった科学部の展示は思い出したくもないほどに失敗し、
またもや2月の生徒総会で発言し名物と化す。
GAKUの爆走日記!を開始したのもこのころ。
中3では通常は高1が立候補する生徒会長選挙に出馬。
2年間生徒会長をすることを前提とした革命的マニュフェストを打ち出し、
このブログと当時立ち上げた選挙専用ブログが炎上する。(ちょっと言い過ぎ?)
当時高1の先輩からの盛大な歓迎(嫌がらせ)を受けるなか、総投票数約600にして100票ちょいを得る。
例によって2月に発言し、先輩に背中を蹴られる。
高1では10月に予定された修学旅行と全日本最終戦が被って悩むものの、
あの10月に大流行したインフルエンザのおかげで3月に延期されるが、
3月も3月でタイヤテストと被って悩む。
結局は修学旅行に行って、体調を崩しまくるパートナーと共にホームステイを楽しんだ。
高2はうちの学校では学園祭を運営する。
僕はパンフレットを製作したのだが、ほかのパートの仕事が進まないとできない仕事だったのでイライラした。
そして学園祭中にレーシングカートを展示した。
多くの人に迷惑をかけながらも行ったカート展示は、
これまでレーシングカートを知らない人々に知ってもらういい機会になったと同時に、
自分自身にモータースポーツのあり方を考えさせた、いい思い出だ。
高3はついに大学受験。
僕らは学校内での隔離病棟のような教室で勉強し、窓は背中側だけだった。
カートに乗らず、ラジコンもせず、レースにも出ず、
朝8時25分までには学校に着き、夜20時に学校を出る日々の繰り返し、そして毎週末のようにある模試は苦痛だった。
その中で自動車学校に通ったり、スポンサー獲得へ向け活動したことは、
大変ではあったがある意味退屈な日々への刺激にもなってよかった。
また、体育祭での「+α」はおもしろかった。
オタクの役をやったが、残念ながら僕はオタクではない。
センター試験明けから一気に私立受験モード&仮卒となり、教室から人が減った。
これで落ちたら誰が通るのかと思うぐらいに自信満々の自己推薦文を提出した某大学の推薦に落ちた。
おそらく出席日数が極端に少なかったせいであろう。
自分自身も私立、そして国立の試験に向かった。久々の遠出は楽しかった。
そうして2012年3月3日、
卒業式を迎えた。
前日の予行練習で学年のほぼ全員がそろったときは、「こんなに人がいたんだっけ?」と思うほど、久しぶりだった。
いつものように馬鹿なことを考え、笑いながら予行を済まし、本番では真面目にやった。
卒業式の後に卒業生とその親の前で先生がこれまでの軌跡を映した写真を見せてくれた。
小学生のような子供が見慣れた顔に変わっていく様子がスクリーンに映し出された。
初めて土曜日の学校が閉まる3時まで学校に残った。
夕方からはクラスほぼ全員が集まってお疲れ様会を行った。
食事をしながら、いつも見ている顔ぶれと相変わらずのことをしゃべった。
6年間も同じところにいたはずなのに、彼らの僕が知らなかった一面を知ったりした。
その後、男子だけでカラオケに行った。
僕は初めて学校の友達とカラオケに行ったのだが、楽しかった。
もっと前から一緒に遊べればよかったのに、と思った。
そんな感じの6年間であった。
振り返ってみれば、周りに迷惑をかけまくった6年間でもあった。
学校の勉強には疑問ばかり持っていた。
特に物理の先生には迷惑をかけたように思う。
国語、特に漢文はおもしろかった。
たとえ話ばかりの頭のいい人と、ちょっとズレてる皇帝の会話は今もあまり変わらないだろう。
数学は、無機質な数式でいろんなことが表わせていることが知った時、面白味を感じた。
ただ、やっぱり何に使うのかわからない、何を表しているのかわからないことが多かった。
英語は、伝わればいいんじゃないかと思っている。
英単語を覚えることが苦手だった。
文法を知ることで表現の幅は確実に広がったと思うが、問題文は人に伝える気のない文章が多くて不思議だった。
理科は、現実のいろいろなことがきちんと理解することができておもしろかった。
しかし、問題は現実では起こりえないことを前提としていたり、授業では理論ばかりだった。
本来すごく面白いもので、僕も好きだが、実験などをもっとして肌で感じられればよいのにと思う。
社会は、覚えるのがとにかく苦手だった。
しかし、世界史は世界中の変わった話を集めたものだし、日本史は深く追及する人にはおもしろいと思うし、
僕が最終的に選択した地理は、地形などを知ることでそこに住む人の生活まで見えて、視界が広がった感覚がした。
体育は、さほど得意ではなかった。
が、体育がなければ、野球のルールを理解することも、剣道をすることもなかっただろう。
高3の間は、体を動かすことの楽しさを改めて知った。
音楽の授業がなければ、ギターを弾くことはなかったと思う。
セーハは指がつりそうだし、結局うまく弾けることはなかったが、楽しかった。
家庭科は、ミシンを使ったり、調理実習をしたりするのが好きだった。
調理実習では先生たちが食べに来たりして、可笑しかった。
美術は、スケッチブックに向かうのが好きだった。
高1で授業が終わったのがとにかく残念だった。
とにかく、
6年間こんな僕に付き合ってくれた先生、同級生、その他の多くの人々、
本当にありがとうございました。